ひさびさにブリグリのアルバムをフルで聴いた感想は……
──奥田さんの作ってきた作品は、アナログな音へのこだわりも特徴ですよね。世の中ではずっと過去の何かがリバイバルしていて、アナログな手触り感が求められるようになってひさしいですが、そういった点においても再評価のきっかけがあったと思います。
奥田 ブリグリやトミーの楽曲を作っていた当時は、最新の音楽をかなり追っていた一方で、The Beatlesをはじめとした過去のアナログな音楽も好きで聴いていて。それを自分の曲でも表現したいと思って、音楽活動を始めてから昔の音楽をどんどん研究していくようになりました。なぜ今またアナログが求められているかと言うと、やっぱりノイズが乗るんですよね。バンド演奏の楽器の歪みが乗っかって、ヒスノイズがいい感じのザラついた音にまとまる。その音を聴くと安心しつつも、グッときますね。
──今回のLPも、特にブリグリのほうはまさにそういった音を楽しめる。
奥田 そうそう、それで思ったことがあって。僕は、リリースしたアルバムをフルで聴かないんですよ。リリースするときはもちろんやり切って世に出してるんだけど、あとから聴いたら「ここはもっとこうしたかったな」という考えが絶対に出てくるから。それはすごくストレスだし、しんどい。ブリグリのアルバムも、たぶん20年以上聴いてなかった。でも、もうこんな機会ないかなと思って昨日本当に、本当にひさしぶりにブリグリの1stアルバム「the brilliant green」を聴いたんですね。またしんどくなったらどうしよう、と思いながら。
──どうでしたか!?
奥田 それで、箇条書きしてみたんです(と言ってメモを取り出す)。
──気になります。
奥田 えっと……読みますね。「粗削り」「フレッシュでキラキラしている」「勢いがあって熱さがあってかわいらしさがあって甘酸っぱさがある」「理想に向かって必死で音楽に立ち向かっているのが見える素晴らしいアルバム」。
──おお……!
奥田 意外でした。自分の中で、大絶賛だったんですよ。びっくりした。こんな感情になるんだと思って……何かから解放されたような気持ちになりました。なんかこのアルバム、いいですね。肌触りがざっくりした感じで、完成しきってないんだけど、そこに必死に向かっている感じが伝わってきて。この作品を作ってよかったなと心から思えました。
──若いアーティストの方たちと話していると、このアルバムに影響を受けている人が多くて。ここでしか得られないテクスチャや感情というものが、確実にあるんだと思います。
奥田 ただ、恵まれた環境だったからできたというのも事実です。ローファイって、身近な環境でラフにやるというイメージもあると思うんですけど、ブリグリの作ってたローファイはめちゃくちゃハイクオリティな環境であの音を作り込んでいた。国内でも最高のスタジオで、最高クラスの一番いいテープを使っていた。それこそ、藤原さんがすごくがんばってくれたんですよ。自分たちのタイプ的に、作ったあとに直したいところがいろいろと出てきてしまうので、レコーディングが終わってから「もう1回やり直したいんですけど」とお願いしたり。そんなときも、朝まで粘ってなんとかやらせてくれた。そういったチーム力やお金があったからこそ作れたし、特別な作品です。たぶん二度と作れないんじゃないかな。しかも、まだアナログ機材も普通にあったし、コンピュータで編集するという時代でもなかった。それによる勢いも含めて、1stアルバムを聴いて自分は圧倒されてしまった。
──やはり、今お話しいただいたような環境がないと再現不可能な、DTMでは出せないローファイ感なのでしょうか。
奥田 これはもうどうしようもないんですけど、最終的にDAWに入れてしまうとどうしても音がベタッとしてしまう。僕もいろんな機材を使ってさんざん試したんですけど、無理です。仕方ない。今後本当に超ハイクオリティなデジタル機器が出てきたらわからないですけど、現時点では出せないです。環境が整ったスタジオがもうなくなってきていますし。信濃町にあった煉瓦作りのソニースタジオとか、本当にすごかった。海外に行ってレコーディングするようなテンションに持っていける、そんな環境が国内にもあったんです。あのスタジオに漂っていたテープマシンの匂いとか、ちょっと埃かぶってる感じとか、絶対にあそこでしか得られないアナログな環境だったから。
──なんとも切ない話です。機材や環境というのは、単なる道具ではなく、時代の感情そのものなのかもしれないですね。再現不可能な特別な意味がある。ブリグリの作品というのはそういった歴史的遺産なんだと思います。
藤原 ブリグリの場合は、もともと本人たちが自宅で使っていた機材もかなりいいものだったんですよ。たくさんそろえてあって。デモがデモじゃなかった。その時点でほとんど完璧だったんですね。だから、そこからクオリティを上げるために音質をどうやって高めていくかとか、そういった会話を最初からしていました。アンプを何台も借りてきて、ケーブルを変えてみたらいい音が出たとか、マイクもいろいろ試すとか、そういうことを延々とやってましたね。1stアルバムが出た1998年はCDが一番売れた年だったし、売れれば制作費も多めに用意されたんですよ。面白いから勉強しよう、実験しようというムードもあって、プロデューサーとスタッフみんなでチームになって、このアーティストをちゃんと育てていこうと団結していた。
──豊かな時代です。当時の音楽が2、30年経ってリバイバルしているわけですけど、ブリグリやトミーについて、自分たちが先駆けたことをしているという自覚はありましたか?
奥田 まったくなかったですね。後世に残るものを作ろう、とまでは考えていなかった。もちろん、若さゆえのノリで「自分たちが一番カッコいいものを作ろう」みたいな気持ちはありましたけど、やっぱり一番に考えていたのは自分たちの音楽や世界観を突き詰めること。なぜあんな異常なほど突き詰めていたかはわからないですけど、ギターの松井亮さんとはいつも「ちゃんとしたのを作んないとヤバいな」と言っていました。作っても作っても、「もう1回やらんとやばいな」と話していたのも覚えています。理想を追い求めていたし、それをちゃんと表現し切らないと生きてる価値はない、くらいに思っていました。すべてを捧げて、音楽にどっぷり入り込んでた。それほどに集中していました。録り切っても、あとから「やっぱりあそこだけは変えたいなあ」って松井さんと話して、「言う? 怒られるよなあ。でも言わんとうちらもうヤバいしな……。やっぱり直してもらうか……」ってやりとりばかりをしてましたね。何も考えず、理想を追い求めていただけ。だから、今も聴けるのかもしれない。
──やっぱり、妥協せずにいいものを追求して作り切っていたというのが、時代を超えて魅力を放っている理由なのかもしれないですね。
奥田 そうですね。やっぱり、粘りですよ。もうこれでいいかも、というところからまだ粘ってみる。もっとよくなるんじゃないかと考えて考えて考え抜く。そういったことはやってましたね。
最近聴いて感動した海外の曲
──今振り返って、自分たちの作品がポップカルチャーを作った、あるいは作ってしまったという実感や誇りはありますか?
奥田 僕は最近まで今の音楽をほとんど聴いていなかったんですよ。でもあるイベントがきっかけで、日本で売れている曲を250曲くらい聴く機会があって、ひさしぶりにたくさんの最新曲を集中して聴いたんです。それで「ああ、今こういう感じになってるのかな」とわかったし、同時に、僕はもう音楽に関心がなくなってきてるのかもしれないと思ったんです。でも気になって海外のヒット曲も聴いてみたら、いくつか感動できる曲があった。今の時代でも世界中で感動できる曲ってまだ生み出されてるんだなと。メロディ、アレンジ、ミックスすべてが素晴らしくて、欧米のそういった曲にはまだまだ敵わないのかもしれないと感じて悔しかったけど、純粋にすごいなと思いました。日本でもすごく個性のある音楽がたくさん生まれているので、とことん粘れたら、もっとよくなるのかもしれない。
──ちなみに、その海外の感動した曲というのは?
奥田 サブリナ・カーペンターです。「Please Please Please」。1960年代から続く“いいメロディ”がちゃんと現代に引き継がれているような曲で、アレンジも音質もすべていい。すごいなと。すぐにアルバムを買って聴いたら、もう全然違うなと思いました。自分たちもそこに行かないといけないなって。
──奥田さんがサブリナ・カーペンターを評価されるというのはすごく納得がいきます。確かに、メロディとアレンジと音質では現代の最高峰ですね。しかも、ちょっとレトロで。
奥田 そうなんですよ。ちょっとね、感動しちゃいました。
──LPのリリースにあたり、今後のことについても伺いたいんですが、奥田さんは今新しいスタジオを作ってらっしゃるんですよね?
奥田 大きくはないスタジオですけど、今年の夏頃に完成すると思います。アナログ機材とか、以前全部手放しちゃったから最近また買い直していますね。最近はもう楽曲制作を全然やってないんですけど、スタジオができたらまた始めるかもしれないです。
──ちなみに、これだけは聞いておきたかったんですが……川瀬智子さんはお元気でらっしゃいますか?
奥田 そうですよね! 心配されている方もいらっしゃると思うのでお伝えしておいたほうがいいですよね。普通に、元気に過ごしてます。呑気に(笑)。
──呑気に過ごしてらっしゃるならよかったです(笑)。川瀬さんらしくて。
奥田 おそらく、皆さんがイメージしている通りに過ごしているかと。だらだら、のんびり(笑)。何も変わってないと思います。
──創作意欲、といったところはどうなんでしょう?
奥田 どうなんでしょうね。そのあたりはちょっと本人しかわからないですけど、新しいスタジオができて環境が整ったときに、何か起きるかもしれないです。
プロフィール
the brilliant green(ザブリリアントグリーン)
奥田俊作と川瀬智子によるロックバンド。作曲・アレンジ・ベースを奥田、作詞・ボーカルを川瀬が担当。1997年にシングル「Bye Bye Mr.Mug」でデビューし、その独自の世界観と完成度の高いサウンドで注目される。1998年リリースのシングル「There will be love there~愛のある場所~」が大ヒットを記録。2010年1月にワーナーミュージック・ジャパンへ移籍し、同年内にシングル3枚とオリジナルアルバム「BLACKOUT」を発表。2014年2月に約3年半ぶりの活動再開を発表し、同年7月にセルフカバーベストアルバム「THE SWINGIN' SIXTIES」をリリースした。
the brilliant green | ソニーミュージックオフィシャルサイト
Tommy february6(トミーフェブラリー)
川瀬智子(the brilliant green)によるソロプロジェクト。2001年にシングル「EVERYDAY AT THE BUS STOP」でデビューし、チアガールファッションで話題を集める。2002年発表の1stアルバム「Tommy february6」はオリコン週間アルバムランキングで2週連続1位を獲得。2012年2月、Tommy february6のダークサイドであるTommy heavenly6との共同名義によるアルバム「FEBRUARY & HEAVENLY」で約7年ぶりに再始動し、翌2013年11月には4thアルバム「TOMMY ♡ ICE CREAM HEAVEN ♡ FOREVER」をリリースした。近年は2000年代初期のカルチャーやファッション“Y2K”がブームになる中、国内外のアーティストから再注目され、Z世代の中心に音楽ストリーミングサービスでの再生数を大きく伸ばしている。
Tommy february6 | ソニーミュージックオフィシャルサイト
Tommy heavenly6/february6 | TikTok
Tommy heavenly6(トミーヘブンリー)
the brilliant greenのボーカリスト・川瀬智子によるソロプロジェクトの1つ。2003年にTommy february6のパフォーマンスと銘打って行われたライブイベントのアンコールで、突然に新キャラクターとして発表された。2003~2009年の間にDefSTAR Recordsよりシングル9枚、オリジナルアルバム3枚、ベストアルバム1枚をリリース。2011年10月にワーナーミュージック・ジャパン移籍後初となるシングル「monochrome rainbow」、2012年10月に新曲を含むハロウィンストーリー3部作をまとめた、Tommy february6との同時クレジットによる“ハロウィン・プチ・ベスト”「HALLOWEEN ADDICTION」、2013年11月にフルアルバム「TOMMY ♡ ICE CREAM HEAVEN ♡ FOREVER」をリリースした。